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サムライDays、欧州Days(吉田麻也著/学研マーケティング) [書籍]

先日のロンドン・オリンピックでの3位決定戦、最初の失点は、吉田麻也選手が目測を誤ったことによるクリアミスからのものである。せっかく、この間のブログで褒めた途端にこれだからなあ~。税込み1400円も出して買った吉田選手の『サムライDays、欧州Days』、アマゾンのマーケットプレイスで1円で叩き売ってやろうかと思ったが(笑)、ま、気を取り直して読んでみた。

全体的な感想をいうと、語り口が等身大というか飾り気がなくて、いい本だなあと思った。プロのサッカー選手というのは、こういう経験をして、こういうことを感じながら生まれてくるのかというのがすごくよくわかった本であった。

半分弱は吉田選手のこれまでのブログを加筆したもの、残りが書き下ろしという構成である。ブログの方は、吉田選手が客寄せパンダにしている内田篤人選手の話で一章が設けられている他、書き下ろしには「吉田麻也×内田篤人スペシャル対談」なるものもあって、ウッチーをとことん利用している(笑)。しかしこの二人、本当に仲むつまじいなあと感じるのだが、ときにはウッチーのあまりの我が儘振りに麻也が「キレそうになる瞬間」があって、ウッチーの方から「ごめん」と謝ったりするらしい。恋人同士かっ!!あ、誤解のないようにいっておくと、二人の間にあるものはあくまで「男の友情」だそうである。それに麻也は高校時代、女の子と付き合ったこともあるのだ。とても淡い恋だったらしく、しかも書き方も淡いので、どんなものだったのかはさっぱりわからないが…。

吉田選手が名古屋グランパスのジュニア出身だという話は知っていた。てっきり、サッカー選手になるのが夢のバリバリのサッカー少年だと思っていたら、そうでもなかったらしい。お兄さんが送ってくれたグランパスのセレクション応募用紙を出してダメもとで受けたら合格してしまい、故郷の長崎を出てお兄さんと二人で愛知県に住むことになったのである。それでも「ダメだったら、1年ぐらいで帰ればいいや」という安易な考えでいた麻也少年であったが、お兄さんと近所のジャスコへ新居用の電化製品や家具を買いに行ったとき、その何十万にもなる合計金額をみて「オレはプロサッカー選手になる」という強い決意が生まれたのだという。麻也くんは本当にいい子だったんだなあと思う。このくだりは真実味があって、この本の中で私が最も好きなエピソードである。

吉田選手がグランパスからオランダのVVVフェンロに移籍直後に大きな怪我をした話は有名である。この本を読んで、それが吉田選手にとってどれほど深刻なものであったのかがよくわかった。意気揚々と海外に移籍した途端の骨折、しかもなかなか直らない。私には想像もつかないが、本当に不安だっただろうと思う。そして、ようやくチームに復帰しても出場機会はあまりなかったらしい。また、チームのレベルも自分の期待していたものとは違い、吉田選手は周りにかなり愚痴っていたようだ。そんな吉田選手にアドバイスしてくれたのが、ザックジャパンの守護神、川島永嗣選手だったそうである。川島選手って職場の先輩にいたらさぞかし煙たいタイプだろうなあと私は常々思っていたのであるが、肝心なところでビシッと決めてくれるのはさすがである。また、こういう時期の吉田選手をアジアカップのディフェンスとして抜擢するザッケローニ監督というのも目のつけどころが違うなあと思った。

最後に、吉田選手のグランパス入団会見でのエピソード。とにかく目立ちたかった吉田選手は、当時大流行していたタカアンドトシの「欧米かっ」をもじったギャグを披露してダダ滑りしたのである。このときの映像は何かの番組で見たことがある。そうか、あれは吉田麻也だったのか。吉田くん、君はあの頃からするとサッカーも多少…いやかなり上手くなったのかもしれないが、お笑いの腕の方は間違いなく飛躍的に向上していると思うぞ。でもね、ちょっと意地悪な感想をいうと、ギャグを考えたり、ブログ書いたり、テレビに出たり、本を出したりせずに、サッカー一筋に精進していたら、この間のオリンピック3位決定戦でのミスはしなかったかもよ~(笑)。しかしそれでも、インタビューも受けずに、いつもブスッとして、何を考えているのか分からない選手よりは、私は吉田選手みたいなタイプの方が断然好きである。

さて、吉田選手はオリンピックでの敗戦のあと「この借りはA代表で返したい」と述べたそうである。いいこというねえ。その意気で是非頑張ってほしい。でもなあ、ワールドカップ予選でまたチョンボしやがったら、そんときは本当にこの本1円で売っ払ってやるからな!…といいたいところなのだが、このブログのネタになりそうな情報が満載なので、たぶんできないと思う。
 
サムライDays、欧州Days

サムライDays、欧州Days

  • 作者: 吉田 麻也
  • 出版社/メーカー: 学研マーケティング
  • 発売日: 2012/03/06
  • メディア: 単行本
 

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日本サッカーはほんとうに強くなったのか(大住良之著、後藤健生著/中央公論新社) [書籍]

2000年にサッカー・ジャーナリストの大住良之さんと後藤健生さんのお二人が、テーマ毎にゲストを招いてサッカー界の現状について座談会形式で議論した内容を記録した本である。座談会のテーマは大別すると、「育成」、「クラブのあり方」、「サッカー界とメディアとの関係」ということになろうか。

新米サッカー・ファンの悲しさで、ゲストの方々の名前はほとんどわからない。だが、育成についての座談会のゲストの一人に布啓一郎さんという方がいた。当時、市立船橋高校サッカー部監督を務めていた人である。私は先日、市立船橋とフロンターレ・ユースの試合を観てきたので、あの力強くて激しいプレー・スタイルを作ってきたお一人かと思うと非常に感慨深かった。

さて2000年というと、フランス・ワールドカップへの出場を果たし、日韓共催は決まったものの、日本サッカーが今後も順調に発展していくのか不安もあった頃だと思う。この本のタイトルが「日本サッカーはほんとうに強くなったのか」という問いかけになっているのも、そういう自信のなさの現れのように思う。今読めば、この本に書かれたことも過去の出来事として客観的に眺めることができるが、発刊当時この本を読んだ人は、日本サッカー界の課題山積の状況に頭が痛くなるような瞬間もあったのではないか。そう思われるぐらい、これでもかこれでもかと様々の問題が出てくる。Jリーグ・クラブの赤字問題、育成資金の問題、芝の練習場の不足、低レベルのサッカー記者、中田英寿のインタビュー拒否等々。何だか日本サッカー界が当時抱えていた悩み、問題、不平、不満のデパートのような本でもある。

しかしもちろん、問題があるからこそ、こういう本を出す意義もあるわけである。座談会形式のため、話はあちこち飛ぶし、特に結論めいたものは示されない。だが、あーでもない、こーでもない、外国じゃこうしている、うちじゃこんなやり方をした、あれじゃあダメだ…等々、侃々諤々の議論が行われるその行間から、議論の参加者それぞれの日本サッカーをもっと強くしようという熱意が溢れ出してくるような本である。

最終章は、大住、後藤両氏による当時の日本サッカー協会会長、長沼健氏へのロング・インタビューである。これだけ別の本にしてもいいのではと思うぐらい読み応えがあった。長沼さんの話は、旧制中学時代の広島での被爆体験から始まる。淡々とした語り口であるが、原爆投下直後の街の様子は、私には想像することもできない凄まじい世界である。そして終戦直後の芋畑のグラウンドをローラーでならしてサッカーをした時代から、デットマール・クラマーとの出会い、メキシコ五輪後の低迷期、日本サッカー・リーグの創設、Jリーグの立上げ、日韓ワールドカップの決定までが、当事者ならではのエピソードを交えて一気に語られる。特に、お金を巡る苦労話が生々しくて興味深かった。私ごときが結論めいたことを書くのはおこがましいので、この章の大住良之さんの「前説」の最終部分を引用したい。

「…何よりも一足飛びにプロができたのではないということ。多くの人の献身的な働きと、サッカーへの情熱によって、一歩一歩『ビッグスポーツ』へと進んできたこと。そして、少し前まで雲のなかにあった『山頂』が、ようやく視界に入ってきたこと。目の前の試合だけにとらわれず、歴史を知り、長期的な展望からいろいろなことを考えていきたいと思う。」

私は今、「日本サッカーはほんとうに強くなった」のだろうと思う。しかし、所詮は数年前からのにわかサッカー・ファンのため、日本がワールドカップの常連になって以降の良い時代しか知らない。なんだか美味しいとこどりをしているようで気が引ける、せめて昔のことをもっと知ろう。そう思ってブックオフで税込み105円で買った本であるが、本当に買ってよかった。
 
日本サッカーはほんとうに強くなったのか

日本サッカーはほんとうに強くなったのか

  • 作者: 大住 良之
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2000/09
  • メディア: 単行本
 
日本サッカーはほんとうに強くなったのか (中公文庫)

日本サッカーはほんとうに強くなったのか (中公文庫)

  • 作者: 大住 良之
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2002/05
  • メディア: 文庫


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ワールドカップ(後藤健生著/中央公論社)-第4回ブラジル大会(1950) [書籍]

この本の中で、私が読んでいて最も興奮した章である。裸足でのプレーをFIFAが禁止したため棄権したインドの話や、「カップ戦」と「リーグ戦」を巡るヨーロッパと南米の論争の話も興味深かったが、何といっても圧巻は、事実上の決勝戦となった開催国ブラジルと第1回大会覇者であるウルグアイとの試合の描写である。

この大会は、現在のように予選リーグを勝ち抜いた後にトーナメントになるのではなく、優勝チームの決定もリーグ方式で行われた。そして、この決勝リーグ戦のそれまでの試合でブラジルは2勝、ウルグアイが1勝1分という状況でこの両雄が激突したのである。

ブラジルはホームであるうえ、引き分けでも優勝が決まるという圧倒的に有利な状況だった。だが、22万人に達したともいうマラカナン・スタジアムの大観衆の前で冷静さを失ったのか、最初から全面攻撃に出る。後半に先制しても攻撃、さらに同点に追い付かれても猛攻を続けた結果、ウルグアイに劇的な逆転を許してしまい、優勝を逃してしまったのである。

「…マラカナン・スタジアムは大混乱だった。スタジアムの中で四人のブラジル人がショックで死亡し、モンテビデオでも三人のウルグアイ人が心臓麻痺で生命を落とした。試合終了後に予定していたセレモニーも行われず、混乱の中でジュール・リメ会長がようやくウルグアイのバレラ主将を見つけて、カップを手渡し…」(本文より)

「…ブラジルは、この敗戦以後、悪夢を忘れるためにユニフォームの色を変えた。こうしてあの有名なカナリヤ色のユニフォームが誕生したのである。」(本文より)

ウィキペディアによると、ブラジルでは自殺者も出たという。この壮絶な試合の映像を見たくなり探したところ、FIFAのサイトでこの大会のビデオを発見したのだが、なぜかエラーが起きてしまい見られない。が、マラカナン・スタジアムのビデオは見ることができた。また、ユーチューブには2分半ほどのダイジェスト映像があった。

さて、2014年ワールドカップはブラジルで行われる。日本代表も今のペースで最終予選の勝ち点を積み上げていけば、再来年には無事この南米サッカー王国の地を踏むことができるだろうが、気候条件や大会中の移動はどんなものなのだろうか。この本には、試合が行われた都市の気候については言及がない。が、当初参加するはずだったフランスが、1次リーグでの移動が3000キロにもなることを理由に棄権したという話が出ている。2014年は、1次リーグの会場は固定されるのだろうか。固定されない場合、飛行機で移動するとしても、3000キロという距離は選手にとって負担だろう。気が早過ぎるかもしれないが、もうそんなことも気になってくる。

2014年大会の決勝戦はマラカナンで行われることが決まっているらしい。もしも…もしもである、サムライ・ブルーがこの超巨大スタジアムを満員にしてカナリア軍団と対決し、劇的な逆転劇を演じて、再びブラジルのユニフォーム・カラーを変えさせるなんてことが起きたら…。考えただけでも痛快である。

ワールドカップ

ワールドカップ

  • 作者: 後藤 健生
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1998/02
  • メディア: 単行本


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ワールドカップ(後藤健生著/中央公論社)-第1回ウルグアイ大会(1930) [書籍]

ウルグアイが第1回ワールドカップの優勝国であることを知ったのは、ほとんどサッカーに関心がなかった頃だったと思う。南米のサッカー強豪国といえば、ブラジルとアルゼンチンぐらいしか知らなかった私は、ウルグアイが勝ったのは、最初の大会で出場国も少なかっただろうし、試合のレベルも低かったからなのだろうと漠然と感じた記憶がある。その後、2010年の南アフリカ大会、それから昨年のコパ・アメリカなどでのウルグアイ代表の戦い振りを観て、ウルグアイに対して本当に申し訳ないと思った。

「ウルグアイという人口300万にも満たない南半球の小国が世界に誇れる最大の歴史的な出来事、それが最初のワールドカップを開催したことなのだ」(本文より)

ウルグアイ人が誇りに思うのは当然だ。1930年といえば、第1次世界大戦から10年余り、しかも前年には世界恐慌が起きた年でもある。当時の南米は大戦の戦禍を免れたため、経済的に余裕があったという事情はあるらしい。が、旅客機もまだない時代に、旅費、大会運営費を全面的に負担して、まだ海のものとも山のものともつかないサッカーの世界選手権を開いてくれた気っ風のよさには本当に感謝したい。

「ウルグアイの人たちは、現在でも自分たちの国のサッカーのことを語るときには必ずといっていいほど第一回ワールドカップの話題を持ち出す」(本文より)

サッカーの世界では、よく「勝者のメンタリティ」という言葉が使われる。栄光の記憶というのはプレッシャーにもなりかねないものだと思う。が、今のウルグアイ代表を見ていても、サッカーに対する自信とプライドの方がはるかに上回っていると感じる。

第1回大会に参加したのは13カ国と現在よりはだいぶ少ないが、かなり盛り上がったようだ。ウルグアイ対アルゼンチンの決勝戦の観客数は9万3000人というから、驚くべき数字だ。試合内容も、記念すべき大会にふさわしい緊迫したものだったようだ。ウルグアイが先制するもアルゼンチンが前半中に逆転。しかし後半にウルグアイが3点を追加して、結局4対2でウルグアイが勝った。

ウルグアイは試合の翌日を祝祭日としたが、アルゼンチンの方は大変だったらしい。敗戦の責任をとってサッカー連盟の指導者が辞職。ブエノスアイレスでは、ファンによりウルグアイ大使館の窓ガラスが割られる。両国は国交凍結。ワールドカップのせいかどうかはわからないが、数日後にはクーデターによりアルゼンチンの大統領が辞職してしまう。

「第一回大会の結果、新しく生まれたサッカーの世界選手権大会は魅力的な大スポーツ・イベントであると同時に、今後も様々なトラブルを引き起こす可能性が明らかになった」(本文より)

確かにそうかもしれない。しかし、ワールドカップには「トラブル」よりも「魅力」の方が圧倒的に大きいと思う。

ワールドカップ

ワールドカップ

  • 作者: 後藤 健生
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1998/02
  • メディア: 単行本


ワールドカップ(後藤健生著/中央公論社) [書籍]

私はサッカーに興味を持ちだしておよそ6年の新米ファン。サッカーに関心がなかった過去の時間を取り戻すことはできないが、知識は補うことができる。そう思ってサッカーに関する書籍を読み漁っているのだが、そのうちの1冊。

第1回ウルグアイ大会(1930)から、執筆時にはまだ開催されていない第16回フランス大会(1998)と第17回日韓共催(2002)まで、この世界最大のスポーツ大会がどのように生まれ、発展してきたかが全311ページにわたって語られる。ちょっと引いてしまうボリュームであるが、実際はとても読みやすい本であった。大袈裟な言葉なしに短いセンテンスで事実を積み上げていく文体にはリズム感があり、熱狂と喧噪のドラマが淡々とクールに描写される。

巻末には、各大会ごとに全て試合の日にち、対戦国、点数を含む試合結果をまとめたワールドカップ全試合記録という表が付いている。今はインターネットで調べれば大概のことはわかるから不要じゃないか。読む前はそう思ったのだが、大きな間違いであった。大部の本ではあるが、全ての試合について詳細に語っているわけではない。しかし、この表があるおかげで、本文中で語られない試合にもそれぞれに選手、監督、スタッフ、サポーターがいて、それぞれにドラマがあったことを想像できるからである。巻末にはさらに、簡単なものであるが「フォーメーション変遷表」なるものも付いており、今では使われないポジション名などは、これでそのピッチ上での位置を確認することができる。

先日書いた『新・サッカーへの招待』もこの本も、2002年の日韓共催が決まり、日本がワールドカップ初出場も果たした1998年の刊行である。当時サッカーに全く関心がなかった私でも、あの時代の熱狂的なブームのことは憶えている。ああいう状況のなかでこういう良質な本を出版してくれたというのは、ファンにとって本当に有り難いことである。しかしもう14年が過ぎた。サッカーは相変わらず人気があるが、最新の情報を反映した適切な概説書は案外少ないように思う。この本もそろそろ改訂版を出して貰いたいものである。


ワールドカップ

ワールドカップ

  • 作者: 後藤 健生
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1998/02
  • メディア: 単行本



新・サッカーへの招待(大住良之著/岩波新書) [書籍]

私はサッカーに興味を持ちだしてようやく6年ほどになる新米ファンである。最近は、サッカー中継やサッカー関連のニュースや記事はほぼ全てチェックしているので、以前に比べればだいぶこの球技について詳しくなったと思う。しかし、少し込み入ったルールやフォーメーションの話になると、途端についていけなくなってしまうこともしばしばである。

そんな私がサッカー全般に関する知識を手軽に得られる本はないかと思って見つけたのがこの本。計236ページというコンパクトなサイズながら、この本は私のそうした要求に十分に応えてくれたと思う。

例えば、オフサイドについて私は何となくわかっていたつもりでいたが、「オフサイド・ポジション」とは何かについての順を追った説明を読んで、これまでの私の知識が非常に曖昧なものであったことに気付かされた。また、当然のように思っていた試合中のロスタイムの表示、バックパス・ルール(バックパスをゴールキーパーが手で受けられないこと)、3人交代制、反則時のアドバンテージによる試合続行、マルチボール・システム(ボールが外に出たらすぐに別のボールを入れること)などがごく最近になって採用されたというのは意外だった。

これらのルール改正の多くが試合をより面白く、よりスピーディーにするためになされたものだそうだ。そういえば、南アのワールドカップの頃、古い時代のワールドカップ(確かペレが出ていた頃)の映像をNHKが放送していたが、ずいぶんまどろっこしく感じた記憶がある。おそらく一つ一つの改正に様々の議論があったのだろうが、改正してくれて本当に有り難いと思う。

サッカーが始まったばかりの時代には、1-1-8システムとか、1-9システムという今では考えられないフォーメーションがあったらしい。一体どんな試合だったのか映像で見てみたいものだ。それが、オフサイドやバックパスに関するルールの変更と技術の進化に伴い、現在の4-4-2や3-5-2などのシステムに変化してきた流れが大変わかりやすくまとめられている。大住さんは、システムだけでサッカーはできないと釘を刺されているが、システムの話ってやっぱり面白いなあと思う。

この本は1993年に出された『サッカーへの招待』という本を5年後の1998年に改訂したものだ。当然のことながら、内容的には古いと感じる面があることは否めない。例えば、女子サッカーについての記述は5ページほどしかない。「なでしこ」という愛称もない頃だから無理もないが、去年のなでしこジャパンの大活躍を知ってしまうと少し淋しい。日本代表の新星として中村俊輔が出てきた頃の著作であるから、もちろん本田圭祐も香川真司も長友祐都も出てこない。

基本的なサッカーの歴史、ルールや戦術の概要を知るには今のままでも十分有用だと思う。が、これからも生まれ続けるサッカー新米ファンがより楽しめるよう、是非とも再改訂版を出してほしいと思う。

新・サッカーへの招待 (岩波新書)

新・サッカーへの招待 (岩波新書)

  • 作者: 大住 良之
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1998/04/20
  • メディア: 新書


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フットボールの犬―欧羅巴1999‐2009(宇都宮徹壱著/東邦出版) [書籍]

宇都宮徹壱さんの名前を最初に知ったのは、スポーツナビのサッカーコラムのサイトだったと思う。日本代表の試合が終わると、翌日には詳細でかつ適確なマッチ・リポートと批評を提供してくれる宇都宮さんのコラムは、私のような新米サッカー・ファンにとっては誠に有り難い存在だ。こんな素晴らしい文章をいつもタダで読んでばかりで申し訳ないと思い、お礼の意味を込めて購入したのがこの本だった。 

収められているのは、20世紀末からの10年間に宇都宮さんが複数の媒体で発表したヨーロッパ・サッカーの取材記事、合計16篇である。だが、発表時の原稿そのままではなく、各章の末尾に、取り上げた選手、チームあるいは国家が現在どうなっているかが注記されている。必ずしも宇都宮さんが期待ないしは予測したとおりにはなっていないのだが、この注記が本の内容に重層的な視点と深味を与えていると感じる。それから、随所に挿入されたスタジアム、選手、サポーターなどの写真が実にいい。さすがは元カメラマンである。カラーもあるが、私はモノクロの方が哀愁があって好みである。

ひたすらフットボールを求めて彷徨する野良犬、そんな「フットボールの犬」に自らをなぞらえる宇都宮さんのフットワークは実に軽やかだ。何しろ、ベルリンでTV観戦したポーランド代表の黒人選手が気になって、1週間後にはワルシャワでその選手のクラブを訪問していたり、フランスの酷暑と試合中突然死したヴィヴィアン・フォエの悲劇による鬱屈から逃れるためにバルト三国のカップ戦を見に行ったり。当然取材には様々の苦労もあるのだろうが、正直いって何とも羨ましい生活だ。

オランダの名門アヤックス、イタリア時代の中田英寿、ウクライナの英雄シェフチェンコなど有名チームやスター選手に焦点を当てた記事もある。が、最も興味を惹かれるのはやはり、こういう本がなければ決して日本の一般ファンが気にも留めないであろう小国の代表チームやマイナー・リーグに関するものだ。私が特に感銘を受けた記事は、人よりも羊が多い人口4万8千人のデンマーク領フェロー諸島代表がユーロ予選で強豪ドイツ相手に健闘する「羊の島に生まれて」、アイルランド・リーグの複雑な政治状況を取材中、ふらりと立ち寄ったスポーツ用品店で地元クラブの元ゴールキーパーに巡り会う「エメラルドの島にて」である。

多くの記事では、対象となっている国や地域にまつわる政治的、民族的、宗教的な背景を織り交ぜながら話が展開する。著者紹介欄には「フットボールの視点から、民族問題、宗教問題を切り取ることをテーマとして…」、さらにあとがきでは「…これらの問題は…フットボールというフィルターを通すと、より具現化してわれわれの目前に迫ってくる」とある。では、宇都宮さんにとって、サッカーとは世界ないし人間の諸相を写し出すための「鏡」に過ぎないのであろうか。

この本を読んだあとの私の印象はむしろ逆であった。上述の様々の問題が生み出すサポーター間の強い敵愾心も、経済力や国境線によって必然的にもたらされる圧倒的な実力の格差も、むしろサッカーというゲームの多様性を彩るための道具立てに過ぎないようにすら思えた。

どんな状況でもサッカーは在り続ける。こういう本が出版され、読まれることによって、日本サッカーは(試合の勝ち負けというだけではなく)強くなっていくのではないか。そんなことを思った。

フットボールの犬―欧羅巴1999‐2009

フットボールの犬―欧羅巴1999‐2009

  • 作者: 宇都宮 徹壱
  • 出版社/メーカー: 東邦出版
  • 発売日: 2009/11/01
  • メディア: 単行本


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