サムライDays、欧州Days(吉田麻也著/学研マーケティング) [書籍]
日本サッカーはほんとうに強くなったのか(大住良之著、後藤健生著/中央公論新社) [書籍]
ワールドカップ(後藤健生著/中央公論社)-第4回ブラジル大会(1950) [書籍]
この大会は、現在のように予選リーグを勝ち抜いた後にトーナメントになるのではなく、優勝チームの決定もリーグ方式で行われた。そして、この決勝リーグ戦のそれまでの試合でブラジルは2勝、ウルグアイが1勝1分という状況でこの両雄が激突したのである。
ブラジルはホームであるうえ、引き分けでも優勝が決まるという圧倒的に有利な状況だった。だが、22万人に達したともいうマラカナン・スタジアムの大観衆の前で冷静さを失ったのか、最初から全面攻撃に出る。後半に先制しても攻撃、さらに同点に追い付かれても猛攻を続けた結果、ウルグアイに劇的な逆転を許してしまい、優勝を逃してしまったのである。
「…マラカナン・スタジアムは大混乱だった。スタジアムの中で四人のブラジル人がショックで死亡し、モンテビデオでも三人のウルグアイ人が心臓麻痺で生命を落とした。試合終了後に予定していたセレモニーも行われず、混乱の中でジュール・リメ会長がようやくウルグアイのバレラ主将を見つけて、カップを手渡し…」(本文より)
「…ブラジルは、この敗戦以後、悪夢を忘れるためにユニフォームの色を変えた。こうしてあの有名なカナリヤ色のユニフォームが誕生したのである。」(本文より)
ウィキペディアによると、ブラジルでは自殺者も出たという。この壮絶な試合の映像を見たくなり探したところ、FIFAのサイトでこの大会のビデオを発見したのだが、なぜかエラーが起きてしまい見られない。が、マラカナン・スタジアムのビデオは見ることができた。また、ユーチューブには2分半ほどのダイジェスト映像があった。
さて、2014年ワールドカップはブラジルで行われる。日本代表も今のペースで最終予選の勝ち点を積み上げていけば、再来年には無事この南米サッカー王国の地を踏むことができるだろうが、気候条件や大会中の移動はどんなものなのだろうか。この本には、試合が行われた都市の気候については言及がない。が、当初参加するはずだったフランスが、1次リーグでの移動が3000キロにもなることを理由に棄権したという話が出ている。2014年は、1次リーグの会場は固定されるのだろうか。固定されない場合、飛行機で移動するとしても、3000キロという距離は選手にとって負担だろう。気が早過ぎるかもしれないが、もうそんなことも気になってくる。
2014年大会の決勝戦はマラカナンで行われることが決まっているらしい。もしも…もしもである、サムライ・ブルーがこの超巨大スタジアムを満員にしてカナリア軍団と対決し、劇的な逆転劇を演じて、再びブラジルのユニフォーム・カラーを変えさせるなんてことが起きたら…。考えただけでも痛快である。
ワールドカップ(後藤健生著/中央公論社)-第1回ウルグアイ大会(1930) [書籍]
「ウルグアイという人口300万にも満たない南半球の小国が世界に誇れる最大の歴史的な出来事、それが最初のワールドカップを開催したことなのだ」(本文より)
ウルグアイ人が誇りに思うのは当然だ。1930年といえば、第1次世界大戦から10年余り、しかも前年には世界恐慌が起きた年でもある。当時の南米は大戦の戦禍を免れたため、経済的に余裕があったという事情はあるらしい。が、旅客機もまだない時代に、旅費、大会運営費を全面的に負担して、まだ海のものとも山のものともつかないサッカーの世界選手権を開いてくれた気っ風のよさには本当に感謝したい。
「ウルグアイの人たちは、現在でも自分たちの国のサッカーのことを語るときには必ずといっていいほど第一回ワールドカップの話題を持ち出す」(本文より)
サッカーの世界では、よく「勝者のメンタリティ」という言葉が使われる。栄光の記憶というのはプレッシャーにもなりかねないものだと思う。が、今のウルグアイ代表を見ていても、サッカーに対する自信とプライドの方がはるかに上回っていると感じる。
第1回大会に参加したのは13カ国と現在よりはだいぶ少ないが、かなり盛り上がったようだ。ウルグアイ対アルゼンチンの決勝戦の観客数は9万3000人というから、驚くべき数字だ。試合内容も、記念すべき大会にふさわしい緊迫したものだったようだ。ウルグアイが先制するもアルゼンチンが前半中に逆転。しかし後半にウルグアイが3点を追加して、結局4対2でウルグアイが勝った。
ウルグアイは試合の翌日を祝祭日としたが、アルゼンチンの方は大変だったらしい。敗戦の責任をとってサッカー連盟の指導者が辞職。ブエノスアイレスでは、ファンによりウルグアイ大使館の窓ガラスが割られる。両国は国交凍結。ワールドカップのせいかどうかはわからないが、数日後にはクーデターによりアルゼンチンの大統領が辞職してしまう。
「第一回大会の結果、新しく生まれたサッカーの世界選手権大会は魅力的な大スポーツ・イベントであると同時に、今後も様々なトラブルを引き起こす可能性が明らかになった」(本文より)
確かにそうかもしれない。しかし、ワールドカップには「トラブル」よりも「魅力」の方が圧倒的に大きいと思う。
ワールドカップ(後藤健生著/中央公論社) [書籍]
第1回ウルグアイ大会(1930)から、執筆時にはまだ開催されていない第16回フランス大会(1998)と第17回日韓共催(2002)まで、この世界最大のスポーツ大会がどのように生まれ、発展してきたかが全311ページにわたって語られる。ちょっと引いてしまうボリュームであるが、実際はとても読みやすい本であった。大袈裟な言葉なしに短いセンテンスで事実を積み上げていく文体にはリズム感があり、熱狂と喧噪のドラマが淡々とクールに描写される。
巻末には、各大会ごとに全て試合の日にち、対戦国、点数を含む試合結果をまとめたワールドカップ全試合記録という表が付いている。今はインターネットで調べれば大概のことはわかるから不要じゃないか。読む前はそう思ったのだが、大きな間違いであった。大部の本ではあるが、全ての試合について詳細に語っているわけではない。しかし、この表があるおかげで、本文中で語られない試合にもそれぞれに選手、監督、スタッフ、サポーターがいて、それぞれにドラマがあったことを想像できるからである。巻末にはさらに、簡単なものであるが「フォーメーション変遷表」なるものも付いており、今では使われないポジション名などは、これでそのピッチ上での位置を確認することができる。
先日書いた『新・サッカーへの招待』もこの本も、2002年の日韓共催が決まり、日本がワールドカップ初出場も果たした1998年の刊行である。当時サッカーに全く関心がなかった私でも、あの時代の熱狂的なブームのことは憶えている。ああいう状況のなかでこういう良質な本を出版してくれたというのは、ファンにとって本当に有り難いことである。しかしもう14年が過ぎた。サッカーは相変わらず人気があるが、最新の情報を反映した適切な概説書は案外少ないように思う。この本もそろそろ改訂版を出して貰いたいものである。
新・サッカーへの招待(大住良之著/岩波新書) [書籍]
そんな私がサッカー全般に関する知識を手軽に得られる本はないかと思って見つけたのがこの本。計236ページというコンパクトなサイズながら、この本は私のそうした要求に十分に応えてくれたと思う。
例えば、オフサイドについて私は何となくわかっていたつもりでいたが、「オフサイド・ポジション」とは何かについての順を追った説明を読んで、これまでの私の知識が非常に曖昧なものであったことに気付かされた。また、当然のように思っていた試合中のロスタイムの表示、バックパス・ルール(バックパスをゴールキーパーが手で受けられないこと)、3人交代制、反則時のアドバンテージによる試合続行、マルチボール・システム(ボールが外に出たらすぐに別のボールを入れること)などがごく最近になって採用されたというのは意外だった。
これらのルール改正の多くが試合をより面白く、よりスピーディーにするためになされたものだそうだ。そういえば、南アのワールドカップの頃、古い時代のワールドカップ(確かペレが出ていた頃)の映像をNHKが放送していたが、ずいぶんまどろっこしく感じた記憶がある。おそらく一つ一つの改正に様々の議論があったのだろうが、改正してくれて本当に有り難いと思う。
サッカーが始まったばかりの時代には、1-1-8システムとか、1-9システムという今では考えられないフォーメーションがあったらしい。一体どんな試合だったのか映像で見てみたいものだ。それが、オフサイドやバックパスに関するルールの変更と技術の進化に伴い、現在の4-4-2や3-5-2などのシステムに変化してきた流れが大変わかりやすくまとめられている。大住さんは、システムだけでサッカーはできないと釘を刺されているが、システムの話ってやっぱり面白いなあと思う。
この本は1993年に出された『サッカーへの招待』という本を5年後の1998年に改訂したものだ。当然のことながら、内容的には古いと感じる面があることは否めない。例えば、女子サッカーについての記述は5ページほどしかない。「なでしこ」という愛称もない頃だから無理もないが、去年のなでしこジャパンの大活躍を知ってしまうと少し淋しい。日本代表の新星として中村俊輔が出てきた頃の著作であるから、もちろん本田圭祐も香川真司も長友祐都も出てこない。
基本的なサッカーの歴史、ルールや戦術の概要を知るには今のままでも十分有用だと思う。が、これからも生まれ続けるサッカー新米ファンがより楽しめるよう、是非とも再改訂版を出してほしいと思う。
フットボールの犬―欧羅巴1999‐2009(宇都宮徹壱著/東邦出版) [書籍]
宇都宮徹壱さんの名前を最初に知ったのは、スポーツナビのサッカーコラムのサイトだったと思う。日本代表の試合が終わると、翌日には詳細でかつ適確なマッチ・リポートと批評を提供してくれる宇都宮さんのコラムは、私のような新米サッカー・ファンにとっては誠に有り難い存在だ。こんな素晴らしい文章をいつもタダで読んでばかりで申し訳ないと思い、お礼の意味を込めて購入したのがこの本だった。
収められているのは、20世紀末からの10年間に宇都宮さんが複数の媒体で発表したヨーロッパ・サッカーの取材記事、合計16篇である。だが、発表時の原稿そのままではなく、各章の末尾に、取り上げた選手、チームあるいは国家が現在どうなっているかが注記されている。必ずしも宇都宮さんが期待ないしは予測したとおりにはなっていないのだが、この注記が本の内容に重層的な視点と深味を与えていると感じる。それから、随所に挿入されたスタジアム、選手、サポーターなどの写真が実にいい。さすがは元カメラマンである。カラーもあるが、私はモノクロの方が哀愁があって好みである。
ひたすらフットボールを求めて彷徨する野良犬、そんな「フットボールの犬」に自らをなぞらえる宇都宮さんのフットワークは実に軽やかだ。何しろ、ベルリンでTV観戦したポーランド代表の黒人選手が気になって、1週間後にはワルシャワでその選手のクラブを訪問していたり、フランスの酷暑と試合中突然死したヴィヴィアン・フォエの悲劇による鬱屈から逃れるためにバルト三国のカップ戦を見に行ったり。当然取材には様々の苦労もあるのだろうが、正直いって何とも羨ましい生活だ。
オランダの名門アヤックス、イタリア時代の中田英寿、ウクライナの英雄シェフチェンコなど有名チームやスター選手に焦点を当てた記事もある。が、最も興味を惹かれるのはやはり、こういう本がなければ決して日本の一般ファンが気にも留めないであろう小国の代表チームやマイナー・リーグに関するものだ。私が特に感銘を受けた記事は、人よりも羊が多い人口4万8千人のデンマーク領フェロー諸島代表がユーロ予選で強豪ドイツ相手に健闘する「羊の島に生まれて」、アイルランド・リーグの複雑な政治状況を取材中、ふらりと立ち寄ったスポーツ用品店で地元クラブの元ゴールキーパーに巡り会う「エメラルドの島にて」である。
多くの記事では、対象となっている国や地域にまつわる政治的、民族的、宗教的な背景を織り交ぜながら話が展開する。著者紹介欄には「フットボールの視点から、民族問題、宗教問題を切り取ることをテーマとして…」、さらにあとがきでは「…これらの問題は…フットボールというフィルターを通すと、より具現化してわれわれの目前に迫ってくる」とある。では、宇都宮さんにとって、サッカーとは世界ないし人間の諸相を写し出すための「鏡」に過ぎないのであろうか。
この本を読んだあとの私の印象はむしろ逆であった。上述の様々の問題が生み出すサポーター間の強い敵愾心も、経済力や国境線によって必然的にもたらされる圧倒的な実力の格差も、むしろサッカーというゲームの多様性を彩るための道具立てに過ぎないようにすら思えた。
どんな状況でもサッカーは在り続ける。こういう本が出版され、読まれることによって、日本サッカーは(試合の勝ち負けというだけではなく)強くなっていくのではないか。そんなことを思った。